私たちの実践!予防歯科ストーリーVol.12 患者さん・スタッフ間のコミュニケーションに「心理学」を活かす、チーフ歯科衛生士の想いとは? 〜東京都杉並区・井荻歯科医院〜
「患者さんとのコミュニケーションに悩むことがある」「スタッフ間の連携が取れていない」──真摯に対応するからこそ直面しがちな“対人関係”の難しさ。今回は、そうした課題に対して理論的な根拠や裏付けを取り入れ、前向きにかつ柔軟に向き合っているチーフ歯科衛生士をご紹介します。
インタビューさせていただいたのは、東京・杉並区にある「井荻歯科医院」の早川琴美さん。患者さんからもスタッフからも多大な信頼を得ている早川さんにとって、コミュニケーションを円滑にするキーワードは「相手の気持ちに寄り添い、関係性をより良くする“心理学”の考え方」です。彼女は心理学から何を学び、どう活かしているのでしょうか。
井荻歯科医院 チーフ歯科衛生士 早川琴美さん
Profile
2015年「井荻歯科医院」に新卒で入職。今年45周年を迎え、医師を含むスタッフ数が90名以上にのぼる同医院は、2023年、「治療から予防へ」を理念とする「プロケアセンター」も新設。早川さんは主に同センターで患者さんのメインテナンスを担当しながら、歯科衛生士のチーフとして多様な業務に当たる。心理学への関心は、2019年にスウェーデン「イエテボリ大学」での研修に参加したことがきっかけ。2022〜24年には東京未来大学 通信教育課程で「モチベーション行動科学部」を修了。学んだ知識を臨床に落とし込み、対患者さん及びスタッフ間のコミュニケーションに活かしている。
https://www.iogishikaiin.com/
歯科先進国・スウェーデンで「心理学」を学んだ背景と気づき
患者さんとのコミュニケーションにどう活かす?
──歯科衛生士と心理学。非常に興味深いトピックですが、その前にまずは、早川さんが歯科衛生士として特にやりがいを感じる瞬間を教えていただけますか?
患者さんのセルフケアや習慣が変わり、口腔内の状態も改善し、そのことにご自身が気付いて喜んでくださることです。私が関わらせていただいたことで、自分を大切にする感覚や好きになる気持ちが少しでも高まるのであれば、この仕事に誇りとやりがいを感じられると思います。
──そんな早川さんが心理学に興味を持たれたきっかけを教えてください。
入職4年目の2019年、海外研修にてスウェーデンを訪れ、「イエテボリ大学」にて講義や実習を受けました。各種講義の中でも、動機付け面接など心理学の手法が印象に残ったんです。スウェーデンの歯科衛生士はカリキュラムの中に心理学が組み込まれていて、患者さんのモチベーション向上に活かすことがスキルとして求められています。
日本では歯科衛生士の学校で心理学を学ぶ機会はほとんどありませんし、臨床でどう活かすかも知りませんでした。研修を受け、心理学が患者さんの行動変容に役立つことを実感したので、「もっと知識を深めたい」と大学に編入して、心理学、教育学、経営学の3分野を学べるモチベーション行動科学を2年間勉強しました。
──働きながら学びを続けるのは大変だったと思いますが、心理学をどんな風に活かしているのでしょうか?
経験を積めば、状況に応じた自分なりのやり方が自然と増えていきますよね。私自身、先輩たちから、また日々の経験から学んだことは多々あります。そうした経験から得られる暗黙知だけでなく、学問として心理学を学ぶことで経験からの知識が形式知となり、より効果的に手法を使用したり、言葉にして誰かに手法を教えることが出来ます。
たとえば、相手のペースを尊重する『ペーシング』という手法があります。せっかちな患者さんにはテキパキと対応することが、ゆったり動く患者さんにはこちらも余裕を持って接したほうが、それぞれの心地よさにつながります。
日々の臨床では、ゆったりタイプの方だとしても「時間短縮のために急いでもらったほうがいいかな? でも…」と悩むことがありました。以前なら自分の選択に不安を感じることもありましたが、心理学の知識があると「これでいいんだ」という判断材料になり、悩むことも少なくなりました。
──確かに、対人関係という課題に対して「これ」という指標がひとつあれば心強いですね。
患者さんは医療技術や診療方針だけでかかりつけを決めるのではなく、「先生や衛生士さんと話すのが楽しい」「なんだか明るい気分になれた」などご自身の感情がプラスに動いたときに「また行こう」「今日からまた歯磨きを頑張ろう」という気持ちになります。そうして長く通ってもらうこと、セルフケアを続けていただくことが口腔内の健康維持に不可欠なので、心理学を臨床に活かすメリットは大きいと思っています。
予防のために不可欠なのは患者さん自身の行動変容
声かけの際に気を付けている「内発的動機付け」とは?
──セルフケアのモチベーションにつながる心理学的な手法を教えていただけますか?
動機付けには2つの視点があります。ひとつは「テストで100点取ったらおこづかい」「仕事で成果を出せたら賞与」、あるいは「できなかったら罰金」などの外発的な要因、もうひとつは自身がこうしたいと思って実行する内発的な要因です。外発的要因にも一定の効果はありますが、内発的な動機を引き出していくことで継続性が高まります。患者さん自身がどうなっていきたいかをイメージしてもらうことが大切です。
セルフケアの必要性を頭では理解していても、実際には「何となくめんどくさい」と感じて、自分の「やりたいこと」もしくは「やりたくないこと」にひきずられてしまうもの。だからこそ、内発的な動機が必要になってきます。私が意識しているのは、実際に歯間ブラシや歯ブラシなどの当て方をご自身で実践してもらい、「自分でもできそう!」と思っていただくことです。
セルフケアをその場で実践してもらい、できそうであれば、「どうでしょう?おうちでもできそうですか?」と聞くんです。その方が出来そうなセルフケアを提案しているので、たいていの方は「できそうです。」と答えてくださいます。この「できそう」という気持ちになれることが内発的動機付けにつながります。
このとき大切なのは、ケアのハードルをその患者さんが越えてもらえる高さに合わせることです。
──ハードルが高すぎると「大変そう」というイメージが先行してやりたくなくなりますが、実際に行ってみると「思っていたほど難しくない」と実感できますよね。
歯周病で出血、歯肉の腫れ、痛みがある方には、歯周基本治療をさせていただき、ブラッシング指導やSRPをしていく中で症状が治まってきます。その変化は「私がクリーニングをしたから」ではなく、患者さんがセルフケアを続けた結果として、状態が改善したためです。
ご自分の努力で状態が良くなれば、口腔への意識が高まり、ひいては全身の健康観向上にもつながっていきます。このように、内発的な動機を引き起こすことは患者さんの近い将来だけでなく数十年後の健康にとっても大切だと思っています。
──患者さん対応で心がけておられることを、ぜひもう少し聞かせてください。
私がとくに大切にしているのは、クライアント中心療法3原則のひとつである「共感的理解」、つまり相手の見ている世界を自分も経験しているかのように感じ取ることです。
患者さんの訴えや苦痛は、医療従事者には理解しにくい場合もあったりします。でも、たとえ医学的には小さな症状だとしても、ご本人にとっては大きなストレスや悩みになっている。そこで「そんなに腫れていないですよ。消毒しておきますね」といった対応をしてしまうと、「たいしたことないのに来てしまって迷惑をかけた」「なぜ自分はこんなに痛みに弱いのか」と自分を責めてしまう方も少なくありません。
目に見える症状だけでなく、患者さんの辛さに寄り添って「共感的理解」をすることで、気持ちを軽くできます。「歯茎が腫れると食事も楽しくないですよね、大変でしたね。腫れとしては大きくはないので、洗浄・消毒で落ち着くと思います。ひどくなる前に来てもらえてよかったですよ」などとお話するようにしています。
もちろん大前提として重要なのは、プロとして患者さんから信頼されることです。できるだけ痛みのない手技を心がけ、「大切に扱われている」と感じてもらえるように最大限の配慮をします。検査結果などは端的にわかりやすく説明をし、どんな治療をしていくのか、ご自身にはどんなことをしてもらいたいのかなどを、患者さんの反応を見ながらお伝えします。
──反応を見ながら、というのが大切なんですね。
同じ説明をしても、人によって受け取り方は違うので、言葉選びや伝える順番なども変えたほうがいいと思います。
たとえばネガティブな患者さんであれば「右側を意識して磨いてくださったんですね!左下のここだけ少し残ってしまったようです」など「右側を頑張ったから左は磨けなかった」という逃げ道を確保してあげると、ご自身を責めずに済みます。また「ここが磨けていません」といった表現は責任を突きつける印象を与えるので、「ここに出血が見られます」「ここがピンクに染まりました」など客観的な事実だけを伝えれば、マイルドになります。
──予防製品をおすすめする際はどのように対応されていますか?
口腔内の状況を見ながら、その製品が必要だと思う方にはしっかりと説明して提案します。通り一遍な薦め方ではなく、患者さん本位で考えるようにしています。
とくに意識しているのは、必要のないものを薦められたと思われることがないよう、お口の状態をわかりやすく伝えること、その上で「○○さんに合いそうな歯磨剤をご紹介してもいいですか?」という了承を得ることです。
それによって患者さんには聞く体制ができ、こちらも話しやすくなります。「お願いします」と言っていただけることが多いですが、もし反応が良くなければサンプルだけお渡しして、「良さそうだったら、次回大きいのを買ってみてくださいね」とお伝えすることもあります。
対スタッフへの「マネジメント」にも活かせる心理学
先輩からも後輩からも信頼される「話しかけやすさ」の極意
──新卒採用や新人教育も早川さんの業務のひとつだそうですが、どんなことを心がけていますか?
採用に関しては、「どんな歯科衛生士になりたいか」を面接で丁寧に聞いて、その人の理想が当院で叶えられるかどうかを重視します。得意分野や目指す方向性、価値観は人それぞれなので、自分の物差しで測るのではなく、「この人のいいところを伸ばしたい」という思いで接しています。
新人教育の場面では、とにかくまず褒めます。私自身が褒められたり報われたりすることで、上機嫌で働いていられるタイプなので(笑)。でも同時に「自分と同じようになってほしい」とは考えていませんし、その人の「強み」を伸ばすサポートができたらと思っています。私自身が見学に来た際、先輩方が温かく対応してくださったことが今でも心に残っていて、自分もそんな風に接していけたらと。
──悩みを相談された際にはどのように対応されていますか?
先ほど患者さんへの「共感的理解」の話をしましたが、普段の会話でも大切にしています。後輩の悩みが自分にとって共感できるものではなかったとしても、「私はそんなことで悩まない」「私はもっと大変だった」などと言わずに、その人がそう感じて辛かったという事実にフォーカスすることで、相手の気持ちが軽くなったり信頼関係が築けたりすると思います。また安易に「わかるよ」とか「そんなことないよ」とは言わないようにしています。簡単に理解されたり否定されても受け入れられないと思うので。
──みなさんの話を聞くための面談の時間を取られているのでしょうか?
医院全体での勉強会や、歯科衛生士で情報を共有するミーティングは定期的に行っていますが、個別面談は時間的になかなか難しくて。すきま時間を利用して私から話しかけたり、逆に「ちょっといいですか?」と声をかけられたりすることが多いですね。
──最後に、早川さん自身のモチベーション維持の秘訣を教えていただけますか?
悩みをため込めないタイプで、何かあればすぐにスタッフや家族、友人などに話を聞いてもらいます。悪口と愚痴は違うので、愚痴はどんどん発散したほうがいいと思っています。話しているうちにモヤモヤしていた気持ちに整理が付いて、次の身のこなし方や解決の糸口が見つかることは多いので、だからこそ私も相手の話を聞くようにしています。
一番のモチベーションは、患者さんの口腔内を向上させるお手伝いができて、その結果を喜んでもらえることです。「絶対に辞めないで」と言ってもらえたり、引っ越しで転院される前に「早川さんが担当で良かった」と嬉しい言葉をいただけたり。
行動変容を起こすのは難しいので、「早川さんのおかげで出血や腫れがなくなった」と言われたら「○○さんが毎日頑張ってこられたからですよ!」と、やる気につながる声かけを心がけています。が、そうするとさらに「早川さんの教え方が上手だからね」と言っていただけるんです。
患者さんの習慣を変えられただけでも嬉しいのに、さらに感謝までいただけるというのは本当に歯科衛生士冥利に尽きると思っています。
──前向きな人柄で、常に相手の気持ちに寄り添うことを意識しておられる早川さん。誰に対しても真摯に向き合い、対人関係の難しさも感じているからこそ、心理学をうまく取り入れることで、より良いコミュニケーションに役立てているのですね。
たくさんの気づきとポイントをシェアしていただき、ありがとうございました!
●患者さんとのコミュニケーションに役立つ「心理学」の手法 まとめ●
□ペーシング:相手のペースを尊重して対応する
□内発的動機付け:患者さん自身の「できる」「やりたい」を引き出して、行動変容を起こす
□共感的理解:相手の辛さに寄り添って気持ちを軽くする